企業という法人制度は、国や社会の産業化、近代化と密接につながっているから、企業という存在についてまわる社会貢献の問題を産業化、近代化にいち早く成功した先進国の社会システムや価値観の視点から捉えようとすると、西欧的な考え方、手法、技術、制度を規範・基準にして我が国の社会貢献の考え方および姿形を検証することになりがちである。一般的に言って、西欧文明の受け入れ側の主場に立つ我々は、自らの後進性、主体性の欠如といった精神的負い目あるいは苦さを噛みしめながらこの問題に取り組むことになるわけである。この場合、特に我々が陥りがちな通弊は、自国の近代化以前の歴史を視野の外においてしまうか等閑視してしまうことである。
我々にそのような苦さを思い知らせてくれる格好の論文がある。公益が国家の管理下にある我が国の社会貢献の法制・税制の問題点を鋭く摘出した『日本企業のフイランソロピ――アメリカ人が見た日本の社会貢献』(ナンシー・ロンドン著、TBSブリタニヵ、一九九二年)がそれである。近代化論の立場に立って日本の社会貢献を批判的に分析した研究書の典型といってもいい(表題は「日本企業のフイランソロピー」となっているが、内容は企業財団の法制・税制を切り口にした我が国の社会貢献論である)。彼女は、自らがこの研究に取り組んだ理由を次のように述べている。
日米の第三セクターの相違を問題にする、より現実的・実際的な理由に触れておこう。日本の社会貢献があまりにも幼稚で未熟なため、いまだかつて広範な研究がなされていないという事実を認識してもらいたかったのがその理由である(注1)。
彼女はまた着眼点としては正当にも、日本の社会貢献が「未熟で幼稚である」理由を、日本人一人一人の市民意識の未成熟さに見出している。
日本が富裕になり、社会的要求が多様化し、社会的・国際的関心も高まり、西欧社会への接触も深まるに伴い、社会貢献の様相が変化しつつあるのは確かである。それにも関わらず、個人個人が社会に対し、宗教的であるなしに関わらず自発的に寄与する義務と能力が存在することを認めかっ実践するという伝統が欠如しているのもまた、厳然たる事実である(注2)。
確かにロンドンの着眼点は正当ではある。しかし、着眼点は正当であるとしても彼女が挙げているその理由づけはあまりに粗雑で、著しく洞察力と説得力を欠いたものとなっている。市民性の欠如を彼女は、「伝統の問題」として二百で片付けてしまっているが、少なくとも国家制度が整えられた白鳳・奈良時代(七世紀末期以降)から一OOO年を超える日本の歴史の中で支配者と被支配者の関係がどのように形成されてきたかを検証することなしに、日本人には自発的社会参加の能力を認め、実践する伝統が欠如していると結論付けるやり方は彼女の知見、歴史認識を含む論理的説明力の弱さを物語っているように思われる。
この私の小論は、日本人の市民意識がなぜ未成熟であるかを歴史的に検証することを目的にしているわけではないので、これ以上は立ち入らないが、この問題(日本人の市民意識の欠如)はその「義務と能力が存在することを認めかっ実践するという伝統が欠如している」という暖昧かつ通り一遍な説明で済まされるような生易しい問題ではないことだけは指摘しておきたい。
彼女は日本企業の社会貢献も姐上に載せる。彼女の日本企業の社会貢献活動に対する評価は痛烈でナイーブな尊大さすら感じさせる。
日本における企業の社会貢献がPR志向ないし市場志向であってもかまわないのは他国と同じであるが、企業の社会貢献に対する非難に応えて、これを正当化できる理由を探求しつつアメリカが経験したような、自己省察や苦悶、時にはあったかも知れぬごまかしなどは、日本の場合、幸か不幸かほとんど回避できたように思われる。―ウォルデマー・ニールソンはこのような意味で日本の社会貢献を幼稚と評したのである(注3)。
ここで彼女が言っている米国企業が社会貢献を正当化するまでに経験した自己省察や苦悶とは、米国において個人が主体であり続けてきた社会貢献活動を私益の追求を使命とする企砦Tしかも株主の所有物である企業が行うことが社会的に認められるようになるまでの二O世紀前半の企業の悪戦苦闘をさしている(ロンドンは、米国企業の社会貢献が社会的に認知されるようになった根拠を、企業寄付が所得控除を認められるようになったことに求めている〈第一章企業の社会貢献とは向か 二 理念と哲学 (3)企業の社会性と文化性、参照〉)。彼女によれば、私利を追求する企業による社会貢献活動に果たして正当性があるかどうかが、米国企業を悩ませた深刻な問題であったというのである。この点で深い内省と苦悶のプロセスを経験していない日本企業はなんと未熟で無知なのか、とロンドンは断じる。
しかし、私の見るところ、日本の企業人の頭と心を悩ませたのはそのような問題設定ではなかった。日本の場合、企業が悩みぬいたのは利益をあげること自体が道義にかなうことかどうかということで献あった。社会貢献はその道義の不可欠の要素だったのである。そして正しく言えば、近代的企業人よ胎りも早く悩みぬいたのは近世の商人たち、商人を擁護した思想家たちであり、彼らがこの難題に既に解決を与えていたのである。
日本企業の先駆け的存在であった近世の商人および思想家は、商人が利益をあげること自体が正当化されることかどうかという根源的な聞を自らに問い掛け、宗教的信念に基づいて世俗的な営み(商業)を倫理的な行として行うことによって利益をあげることは正当化されるという哲学、生き方を自ら作り上げていったのである。商業という職業を営むことが宗教倫理的な行であるという捉え方は、政治体制および価値観が社会の中心的価値(最上位の価値体系)を形成していたこの時代に、その政治の担い手である武士に比べて身分の最も低い商人が倫理的な生き方において武士と同等の立場に立つことの自覚を生じさせるものであった。そのような倫理的な気概・主体性を支えとし、たゆまぬ努力精進(勤勉、正直、倹約などの経済倫理)によって商業を行う生き方は、商人道として徳川時代中期から後期にかけて確立されていった。